1970~80年代の時点で
・ネコ近所の卑怯者集団は、
ターゲット住民が転勤してくる前から嫌がらせを準備して待っていました。
近所の人の家の前で亀殺しを見せ、カビの生える人形を贈り、レストランで「わたしの人生を返して」と交際相手に怒る女性を登場させ、
そういう未来をターゲット達に約束しました。
ネコは数少ない生き残りの一人ですが、
邪悪な人々は、多数の近隣ターゲット住民の追い込みを実現し上記目的を達成してきましたね。
ネコの暮らした地域は(だいたいが雇用の保証されたサラリーマンの家庭でした。)そういう悪事を行った人々と、悪事から距離を取った人達と、攻撃対象になった人が、混然としていた街のはずです。
卑怯者カルトの活動内容を告発する人々や、労働者の権利維持を求める活動を行う人達も攻撃の対象になりましたよね。
・1970年代から一貫して、卑怯(よその家庭を覗き見し呪っている)を続けている家庭の人と、
・そういう事を断っ(て苦労した)た家庭の人が、
今後「同じ正常化の恩恵」によくするのはおかしいのではないかと、私は思います。
覗き見して嫌がらせして殺した者が「お得」ですよね。
「よその家庭を呪って活動する」卑怯者(もう特定できていますか?)は、この国に必要無いと思います。
そういう隣人は危険なので、刑務所に入って、他人に迷惑をかけないよう暮らしてもらいたいです。
1970年代から卑怯な事をしていた人は、その時代に警察が機能していれば罪に問われていたはずです。卑怯者が暗殺者を繰り出すせいで、悪者たちの逮捕が遅くなっただけです。
・1970年代に卑怯な家庭では無かったが、その後、職を失うなどして経済的に困窮し卑怯者の手下として生業をたてることになった同級生たち、もいますか?
同級生たちの分類はこれでいいですか?
A,1970年代から一貫して、卑怯(よその家庭を覗き見し呪っている)を続けている家庭の人と、
B,そういう事を断った家庭の人
C, 1970年代に卑怯な家庭では無かったが、その後、職を失うなどして経済的に困窮し卑怯者の手下として生業をたてることになった同級生たち、
「新しい時代は卑怯者抜き」ですよね。
卑怯者(新しい時代は「囚人」か「仮市民(非国民)」となります)の範囲は、
・Aの人で3年前に反省していない人
・Cの中で3年前に反省していない人
反省していても裁判(自動的な免罪は無し)。
で良いですか?