てつむぎ+

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「コクリコ坂から」

コクリコ坂のストーリーのもう一本の経糸は、主人公少年の出生をめぐるストーリー。

変化の激しかっただろう時代に、なんらかの事情を抱え生まれてきた仲間の子どもを、その周囲の人たちが生かそうと密やかに努力する様子が、描かれていきます。
知恵を絞り、白とも黒ともグレーともつかぬ複雑な環境・それぞれの関係者の持つ条件を活用し、育ててきたのだろうな・・・ということがうかがえました。
見事に育ってきた少年。
建物の修復が終わり、全校生徒が集まった会場から、主人公二人は「私用」で抜けることになりました。
もしかしたら、「まだ」あの少年にはあの種の場に立ちあわせたくないという思いが、見守り関係者の間にあったのかもしれません。
だとしたら、家族など身近な人からの「今回は止めておけ」という明示的制止で良かったのでは、という気もしますが。または明示して伝えられないほど、少年自身にも彼の出生の謂れを隠さなければならない状況があるのでしょうか。
私が思いついたのは、これらの可能性です。
・偶然そうなった
・あの少年たちへの「見守り」の思いから、大人たちの遠回しな導きによって
・あの少年の行動を「阻む」勢力の陰謀
1度みた限りでは、幾通りかに読めるから、あまりわからなかったです。
常識的に考えれば、「偶然説」がいちばん妥当です。
でも、そうだとすると、映画の経糸にそのストーリーを配置する意義がぼやけてきます。


わたしは、あのストーリー中に正解を求めるというよりは、問題提起として受け止めたいなと考えています。

いづれにせよ、身近な場所からであったり、離れた場所からであったりするけれど、ひとびとがほかの子どもや家族の無事を祈り確認し合っている様子が描かれていて、そのことからもパワーをもらえる作品だと思います。